卒業式に感じること

毎年この時期になると卒業式で歌う君が代について思うことがあります。
今年出席した卒業式では、ほんの一部の生徒でしが、君が代を歌ってくれました。とても嬉しかったです。
私の世代(1950年代生)が学校で教育を受けたのは、君が代反対の先生達からです。
それでも私たちの頃はまだ、ちゃんと君が代は教えてくれました。先生達が自分の主張は主張として、子供達に選択の範囲を残してくれていたんです。
自分の子供達の学校生活を通じて感じるには、最近の先生の教え方には大いに疑問があります。
君が代反対を主張することは結構な事なんですが、だからといって君が代を教えないのは、子供の選択の範囲を奪っていることに気がつかないのでしょうか?
宗教の勧誘されると押しつけるなと文句を言う人も多いような気がします。でも、自分のやっていることは、まさに子供達への押しつけになっているんです。
成人式で暴れる子供達を見ながら、フォーマルを教えて来なかった学校教育に憤りさえ感じます。まあこれについては親も充分に悪いとは思いますが、その親にそういう教育を刷り込んだのはやはり学校なんです。学校の先生は反体制の伝道者で良いわけがありません。
自分の主張はそれとして、教えなければならないことはちゃんと教えなければなりません。
そもそも君が代の強制なんてあるまじき事です。これは過去の学校で行われた教育の結果の集大成です。式典で君が代を斉唱するなんていうのは「あたりまえ」のことなんです。だから今までそんな法律もなかったんです。
合衆国の教育に関する法律のなかには国旗、国家についての強制を記述したところがない。やっぱり自由の国はすばらしいと言う愚かな人もいますが、大きな勘違いです。
合衆国でも星条旗と国家星条旗よ永遠なれは「あたりまえ」のことだから、成文化されていないのだということに、少なくとも大学教育を受けた人がどうして気がつかないのでしょうか?
そもそも、君が代がどうして国歌としてふさわしくないかという議論が空虚なものに思えます。
未だに侵略戦争の印として反対する人も多い事は承知していますが、そろそろちゃんと過去を見直す時期ではないでしょうか?
東京裁判は、ちゃんと勉強をすれば不合理極まる極悪裁判だったことは世界の法学者の間では周知の事実です。戦争に勝ったから負けた方を裁いて良いという決まりはどこにもありません。合衆国は昔からこういう体質だった証左となると思います。
日本人がこの不合理に気が付くと困るので、徹底して「悪い日本」を刷り込んだのが戦後統治だったんです。今はインターネットで沢山の情報を手に入れることができますので、こんな事は少し資料を探せば簡単に調べられます。
最近の新聞に、中国共産党も南京大虐殺について少しずつですが態度を変化させているという記事がありました。南京大虐殺という言葉を使いたくないのではと思いました。
物理的に不可能なことが、東京裁判では簡単に事実として認定されてしまったのです。
確かに沢山の軍人の中には心ない人もいたかもしれません。しかし多くの軍人は私利私欲のために戦争をやったわけでは決してないのです。
最近のNHKのドキュメンタリーなどを見ていたら、前の戦争にどうやって突入したかというを説明していました。合衆国の政策により日本は戦争以外の選択肢を奪われたという事実があったのです。
ですから、私は「君が代が侵略の印」という議論は当たらないと考えています。
公式の式典ではちゃん君が代を歌いませんか?